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- かつて十日市は交通の要衝だった!?江戸時代の商人も歩いた街道を歩く - 2021年8月31日
はじめまして。鯉党αと申します。
普段は「AND BUILD HIROSHIMA(アンドビルド広島)」というサイトで、広島の再開発、まちづくりを写真や動画で追いかけています。
この度、「君はまだ十日市を知らない」様からお誘いをいただき、寄稿させていただくことになりました。
機会を与えてくださったことに感謝いたします。
さて、私の「十日市」の印象は、”住”と”商”が程よくバランスが取れた、利便性の高い街。
紙屋町の会社に務める私の友人も2名十日市に住んでいます。
私にお声がかかるということは、都市開発や交通系の話題にご期待をされてたのだと思いますが、
上記のような印象なので、何を書こうかと少し悩みました。
ただひとつ、この地区に対して「知られてなくてもったいない!」と思うことがあります。
それは、現在の十日市地区は、かつては西日本の大動脈「西国街道」と、出雲・石見といった山陰側へ向かう街道「雲石街道」が交わる、交通の要衝だったことです。
- 西国街道:山陽道とも呼ばれ京都から下関までを結ぶ街道
- 雲石街道:現在の十日市・堺町から可部を経由し出雲、石見方面へ向かう街道
【広島広域都市圏産業振興研究会】:西国街道と主要な歴史街道|西国街道みちしるべ
【広島市中区地域起こし推進課】:西国街道とは -「ほうじゃ!西国街道で遊ぼうや」
簡単なイラストを描きました。あの本通り商店街も西国街道の一部です。
東西の大動脈と広島から山陰に至る主要幹線が交わる交差点。
現代の国泰寺「広島市役所前交差点」のようなイメージでしょう。
↑ 市役所前交差点。(手前から奥に伸びる国道2号と、この交差点を起点として北(画像右)に伸びていく国道54号。)
十日市はかつての西国街道を往来する商人、山陰から安芸の国を目指してくる商人などで賑わったことが想像できます。
現在その歴史ある交差点がどうなっているのか、現地を訪れて確認してみました。
2枚目の画像で、左右に横切る通りが西国街道、
まっすぐ奥に伸びていく道が雲石街道です。
現代ではその面影や記念碑などがあるわけではなく、至って普通の交差点となっており、
何らかの解説がないと全く気づかない状態となっています。
これはもったいない!
たまに通りかかる時に、いつも思うことです。
雲石街道の起点であることを示す「道しるべ」がかつては存在したようですが、現在は本川町の空鞘稲荷神社に移設されています。
ありました。「出雲大社道・道標」と。
どうでもいいことですが、この神社の隣にある「本川こども園」は私が通っていた幼稚園です。
建物を前にすると、断片的に色々記憶が蘇りました。
左手の空鞘公園でもよく遊んだな…。
話を元に戻します。
十日市地区はその高い利便性から都市化が進み、かつての人々の交差点、交通の要衝だったことがほとんど知られていないのが、非常にもったいない、というのが今回言いたかったことです。
少し西に進むと、広電土橋電停などがある舟入通りと交わります。
付近の西国街道は、己斐橋・天満橋を経て平和公園・紙屋町・八丁堀地区を結んでおり、
この舟入通りを横断する車も多いです。
現在はどちらかというと自動車中心の印象ですね。
もっと多くの人にこうした歴史に触れてもらって、かつてのような歩行者中心の街「歩いて楽しい街」になれば、もっとこの街の魅力が高まると思います。
こうした環境はどこにでもあるわけではない、十日市・土橋地区の個性ですし、
都心である紙屋町・八丁堀地区や平和公園と歩いて行き来できるということも非常に大きな強みです。
今日では国でも「あるきたくなる街路づくり」、「ウォーカブルなまちづくり」が評価されており、補助金を出す制度も存在。全国で制度を活用した街路の再生が進んでいます。
【国土交通省】:街路空間の再構築・利活用に向けた取組 ~居心地が良く歩きたくなる街路づくり~
いつかは歩行者天国とまでは行かないまでも、時間指定の一方通行にするなどして
歩道の拡張整備や景観にも優れた舗装になれば良いなと、妄想しながらこの日は十日市を歩いていました。
以下は歩きながら撮影した、現状のスナップです。
雲石街道。
城南通りと交差し、寺町、横川、三篠へと伸びていきます。
こちらは西国街道から平和公園方面へ。
本川橋の西詰はスクランブル交差点になっています。
本川橋を渡り平和公園へ。
この通りは休日は歩行者専用になります。
これもあまり知られていないのか、歩行者専用にもかかわらず多くの人は歩道を歩いている光景に、もったいなさを感じますがまた別の機会で。
本川橋から基町方面。
以上です。
私は歴史は得意分野ではないので、詳しい方、思いのある方は続いてくだされば嬉しいです。
街を歩くと、クルマで通るだけでは気にもしなかった景色に感心することが多いです。
こうした景色を発見することが、自分の街への愛着に繋がっていくはず。
するとさらに魅力的な人々やお店が集まって来ることも期待できますよね。
まちづくりからそうした好循環を生み出すことも可能だと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
鯉党α
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