【路面電車】たった半年で消えた橋の物語~あとがき~

路面電車
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中田裕一

宮島線歴史たずね人の中田裕一です。 広島電鉄宮島線の歴史や沿線地域の様々を書いた 「広電宮島線 もっと魅力発見!」(2024年南々社) と、被爆して壊滅した路面電車の復旧の真実を書いた 「だから路面電車は生き返った」(2025年南々社) の作者です。 元電車運転士であり、元路面電車を考える会会員です。 路面電車黎明期の歴史や地域公共交通の課題に取り組んでいます。

資料写真に残る459号

4回に分けて、横川新橋の物語をお伝えしました。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

「だから路面電車は生き返った」を書き終えた2025年の2月。

棚上げにしておいた横川新橋のことに取り組み始めました。

その時は、山奥の小さな橋ではなく、横川駅前の路面電車が通る大きな橋のことだから、すぐに記録や情報が見つかるだろうと、気楽に考えていました。

横川といえば、「かよこバス」や駅周辺の再整備で、地域の歴史についても資料があるだろうし、「横川ゾンビナイト」などのイベントも活発な場所。地域密着の商店街振興組合に聞けば、すぐに見つかるだろうと。

事情を説明すると、商店街振興組合の方は「◯◯さんならわかるだろう」「・・のおばあちゃんが生きてたら」と、次々と名前が出てきます。突然の問い合わせにも関わらず、とても好意的に対応していただけました。

同時に、十日市から横川まで何度も歩き回り、商店やお寺に行って尋ねてまわります。

出版後、RCCラジオの情報番組「本名正憲のおはようラジオ」に呼んでいただいた時、本を紹介させていただく時間を借りて、横川新橋の情報を探していることも話しました。

「たった半年だけあった橋のことや、その橋ができる前のことなど、情報をお寄せください」

とラジオを通してお願い。昭和18年7月末に水害で流失し昭和20年3月に開通するまで、「あの時は、横川駅から別院前まで歩かなければならんかった」とか「死んだおじいちゃんから聞いたことがある」といった情報が、ラジオならすぐに寄せられると思って。

 

ところが、商店街振興組合もラジオもダメ。聞き込みで回った先もダメでした。

全く情報がありません。

横川駅前の、路面電車も走る大きな橋なのに。

「台風で橋が流されたのはよう知っとるよ」と言っていただいても、それは枕崎台風でのこと。その前の橋が流されたのは「初めて聞いた」と。

「君はまだ十日市を知らない」で書かせてもらうまで、さまざまな場所で横川新橋のことを尋ねました。SNSでも発信しました。

その全てが空振り。君知らに書いても情報は皆無。

あんな大きな橋の出来事なのに。

 

なぜ、これほど完璧に人々の記憶から消えているのでしょうか。探し求めるなかで、その理由は大きく2つあると思うようになりました。。

1つは原爆です。

知っている人は、つまり地域の人は原爆で亡くなっている。

生き残っていても原爆という強烈な記憶が、その前の記憶を消している。

80年以上前のことなので、当時10歳以上の方しか知らない話。しかも、その頃の10歳前後は疎開して横川を離れています。知っている人の絶対数が少ないのです。

それでも、「生前に聞いたことがある」や「記録が書き残されている」があってもいい。

でも、そんな話は届きませんでした。

なぜ、これほど情報がないのか?

2つ目の理由は、戦争です。

 

当時の新聞記事を読むと、狂った時代だったのがわかります。

昭和18年7月の水害。気象台には記録が残されていました。大水害です。

でも、新聞には雨が降ったことすら書かれていません。戦争の華々しい戦果の記事だらけです。天気予報も禁止されています。全ての情報が管理されているのです。

ひどい雨が降った、橋がいくつも流された、電車が不通になった。

その全てが隠されます。写真どころか口にすることも出来ません。

スパイがいる。

スパイと疑われる。

憲兵が見ている。

人々は、橋が流されたことなど口に出来ません。

昭和10年ごろまでは橋が架かると、地域のお宮から神主さんがやって来て、祝詞を奏上してめでたく渡り初め。餅まきが行われ、御神酒も振る舞われるなどの祝賀行事も行われて、写真とともに新聞にも掲載されます。

けれども昭和20年3月7日の開通式は、まったく報じられていません。

新聞は戦争一色。時代が狂っているのです。

 

もし、広電の松浦電気課長が残した日誌に開通式のことが書かれていなかったら、たった半年のまぼろしの橋どころか、存在さえ消えてしまっていたのです。

 

全てが閉ざされる。情報統制とは、記憶すら残せないことなのです。

 

いま、80年前の狂気に包まれた時代を笑えるかもしれません。

 

しかし、横川新橋のことを調べ、その時代を知ったときに感じたのはある種の恐怖です。

 

ひょっとしたら、80年後の人々に「令和のあの時代は狂っていた」と笑われる世界に暮らしているのかもしれないという感覚。

 

そうでないと願い、この物語を終えます。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

最後に、「君はまだ十日市を知らない」のコンセプトとは離れたかもしれない記事の掲載を、快く受け入れていただいた関係者の皆様にも感謝申し上げます。

横川新橋の建設工事中で、仮設の電車橋は4本線路のガントレット軌道。渡ってきたのは今も残る156号(別院前電停から北側を望む)撮影:窪田正實

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中田裕一

宮島線歴史たずね人の中田裕一です。 広島電鉄宮島線の歴史や沿線地域の様々を書いた 「広電宮島線 もっと魅力発見!」(2024年南々社) と、被爆して壊滅した路面電車の復旧の真実を書いた 「だから路面電車は生き返った」(2025年南々社) の作者です。 元電車運転士であり、元路面電車を考える会会員です。 路面電車黎明期の歴史や地域公共交通の課題に取り組んでいます。
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