【路面電車】たった半年で消えた橋の物語(2)

路面電車
この電停最終日に撮影(PHOTO:kenbo)
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中田裕一

宮島線歴史たずね人の中田裕一です。 広島電鉄宮島線の歴史や沿線地域の様々を書いた 「広電宮島線 もっと魅力発見!」(2024年南々社) と、被爆して壊滅した路面電車の復旧の真実を書いた 「だから路面電車は生き返った」(2025年南々社) の作者です。 元電車運転士であり、元路面電車を考える会会員です。 路面電車黎明期の歴史や地域公共交通の課題に取り組んでいます。

前回は、横川新橋の謎について書きました。

1943(昭和18)年7月に水害で失われ、1945(昭和20)年3月に架けかえられた橋が開通。

80年以上前の出来事です。

 

今回は、そんな昔の話ではありません・・・たぶん。

 

横川新橋の事を聞き回っていて感じたことがあります。

みなさん、横川線の終点が現在と違っていたことを知らないのです

現在の横川電停は、JR横川駅の南口改札口に近い、大きな屋根の下にあります。

でも、ずっとそこだったのではありません。

 

えっ、知ってる・・⁈。

 

前は、国道に沿って駅前を曲がった先の道路の真ん中で、ゴッドバーガーの前だったでしょ!

旧横川駅電停最終日に撮影(PHOTO:kenbo)

はい、ゴッドバーガーの前にあった電停が、現在地に移設されたのは2003(平成15)年の事です。ついこの間に思えますが、意外と移設されてからずいぶん経ちました。

(ゴッドバーガーがわかる前提で書いていますので、わからなかったら検索してね)

道路の真ん中にありました(PHOTO:kenbo)

2003(平成15)年に完成した横川駅周辺の再整備は、路面電車の駅前広場乗り入れだけではなく、南北自由通路を作って横川駅の南側と北側を、遠回りしなくても行き来できるようにする整備も行われました。

駅前広場に乗り入れした路面電車。(見なれない色の電車がいますね…)

それまでは横川駅東側のガード下を抜けるルートしかなかったので、とても便利になって街が活気を帯びてきました。十日市や土橋と横川駅周辺、どちらも食事や街歩きが楽しくて、今日はどっちに行こうかななんて、選択肢が多すぎて悩んでしまいます。

 

ガード下を抜ける道は県道277号線。国道54号線だった時期もあるので、”旧道”や”旧国道”とも呼ばれる道。この道には、歴史があります。

その名も雲石街道。陰陽連絡の街道として、江戸期に整備された道です。

広島城下の町をめざして、多くの人や荷物がこの道を行き交います。

1897(明治30)年に山陽鉄道が広島から徳山まで線路を延ばしたとき、横川駅ができました。

その頃の線路は高架ではなかったので(高架になったのは1963年)、雲石街道のガード下にあたる部分には踏切がありました。

線路がまだ高架になる前、ここには踏切がありました。

その踏切の脇から、現在の可部線にあたる大日本軌道広島支社線(以下可部線)が、可部方面に向けて延びていたのです。この路線は、時期によってルートや線路幅が変わったり、電化されて電車が走るようになりましたが、太田川放水路工事で横川駅が高架になったとき、踏切はなくなって道はガード下を通るようになりました。

 

さて、冒頭に”みなさん、横川線の終点が現在と違っていたことを知らないのです。”と書きました。

それは、あのゴッドバーガーの前にあった横川駅電停のことではありません。

 

市内電車の横川線が開業したときの終点は、横川駅ではないのです。

三篠です。横川線の始終点は、三篠電停だったのです。

山陽本線の横川駅前に横川駅電停があって、そのもう少し先の三篠電停まで線路はあったのです。

三篠電停は、可部線の横川駅の近くにありました。

つまり、可部線の横川駅があって、その横に山陽本線の踏切があり、その踏切の手前に路面電車の三篠電停があったのです。

ということは、路面電車は可部線との接続を大切にしていたと考えることもできます。

路面電車横川線開業のころ(のちに右に曲がっている可部線の線路は向きを変えて左に進みます)

 

ここまで読まれたあなた、何か気が付きませんか?

 

現在の横川駅前にある【くろすろーど商店街】です。

くろすろーど商店街のアーケードは戦後の広島で、最も早く作られたアーケード。

中心部にある本通り商店街のアーケードは昭和29年に作られました。それより2年前に作られたのが、くろすろーど商店街のアーケードです。

広島最古のアーケードがある くろすろーど商店街

そのくろすろーど商店街って、妙に斜めだと思いませんか?

山陽本線や国道に平行じゃなくて、ちょっと斜め。

 

はい、もうわかりましたね。

 

あのくろすろーど商店街は、路面電車が三篠電停へと伸びる線路の跡に作られた商店街なのです。

だから、斜めなのです。

 

あの原子爆弾が投下される日の朝も、そこを電車が走っていました。

画面中央、横断歩道の右付近に三篠電停がありました

横川線は昭和20年12月26日に、十日市から横川新橋の手前までの区間が復旧しました。落橋した橋の代わりに電車専用の橋が架けられて、全区間が復旧したのは昭和23年12月18日です。

その日から昭和26年の7月18日まで、つまり戦後も2年7ヶ月間は三篠電停から電車は出ていました。昭和26年7月19日に、三篠電停は廃止されて横川駅前までに線路は70mほど短くなり、昭和31年5月1日には横川駅前から国道の中央へと電停が移設され、ゴッドバーガー前が始終点となりました。

 

つまり、横川駅周辺の再整備事業により横川線が横川駅前広場に移ってきたのではなく、

「戻ってきた」のです。

 

あっ、ここまで書いて十日市のことを書いていないって気が付きました。

いまさら修正できないので、このまま公開します。
次は十日市のことを書かなきゃ!

 

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中田裕一

宮島線歴史たずね人の中田裕一です。 広島電鉄宮島線の歴史や沿線地域の様々を書いた 「広電宮島線 もっと魅力発見!」(2024年南々社) と、被爆して壊滅した路面電車の復旧の真実を書いた 「だから路面電車は生き返った」(2025年南々社) の作者です。 元電車運転士であり、元路面電車を考える会会員です。 路面電車黎明期の歴史や地域公共交通の課題に取り組んでいます。
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